2017.7.23買取情報【初代徳田八十吉/酒器(徳利)/吉田屋写し/人間国宝/陶磁器】
九谷の人間国宝初代徳田八十吉の吉田屋写しの徳利です(共箱)。古九谷・吉田屋の再現に生涯を賭けた初代八十吉の丁寧な仕事が見てとれる作品です。
◆初代 徳田八十吉◆
九谷焼の陶芸家
初代 徳田八十吉(1873年-1956年)、号は「公暉」「鬼佛」。
古九谷吉田屋の作風の再現に取組み「九谷八十吉」の銘を使用。
1953年に「九谷焼上絵付」で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。
◆九谷焼(くたにやき)◆
江戸時代、明暦(1655~1658)から元禄(1688~1704)にかけて
加賀国(現石川県)九谷で焼かれたとされ、現在古九谷と呼ばれる色絵作品、
および江戸末期の再興後に始まる精巧な赤絵・金襴手などの総称。
江戸初期の「古九谷」と、江戸後期、加賀藩によって再開された「再興九谷」、
そして「明治以降の九谷焼」に大きく分類されます。
【古九谷】
大聖寺藩主の前田利治が
後藤才次郎を有田(佐賀県)に派遣し作陶の技術を修得させ、
帰藩後、明暦年間(1655~58)に築窯したと一般に伝えられています。
一般に古九谷と称されているのは色絵磁器で、
不透明な鈍い白色素地に花鳥、山水、風物などが描かれた作品が多いです。
また濃い彩釉を用い上絵付されてた大胆な構図の作品が多く、
祥瑞風、和風、幾何学文様なども巧みに併用しつつ、
古九谷様式ともいうべき独自の意匠を展開しています。
素地を青・緑・紫・黄の彩釉で塗りつぶした青手(あおで/塗りつぶし手)も
古九谷特有のものといえます。
【再興九谷】
江戸後期、文化年間(1804~18)加賀藩の殖産政策として
卯辰山(金沢市)に窯が開かれたのを皮切りに、藩内各地に新窯が造られました。
いわゆる伝世古九谷の色絵磁器を本格的に写し、
新たな独特の装飾様式にまで展開させたのは、
大聖寺の豪商吉田屋(豊田伝右衛門)です。
1823年頃、古九谷の古窯址の近くに新窯を築き吉田屋窯とし、
古九谷の五彩手と青手に倣った芸術的香りの高い重厚な色絵磁器を生産しました。
赤絵細描に優れた絵師 飯田屋八郎右衛門による八郎手とよぶ金襴手、
八郎手に九谷庄三が独自の技を加え生まれた彩色金襴手、
また京都から山代へ招かれた永楽和全による独特の九谷永楽など、
新しい技術や作風が多く生まれたのもこの時期です。
化政期以降は、優れた陶人の輩出や良質の磁土の発見とともに、
小松、加賀、金沢、寺井などで目覚ましく発展を遂げ、
明治に入って海外への輸出でさらに進展し、
同地はわが国製陶産業の一翼を担うこととなります。
陶工としては、九谷庄三、松本佐平、内海吉造、阿部碧海、
石野竜山、安達陶仙、松原新助、徳田八十吉、竹内吟秋・浅井一毫兄弟、
初代須田菁華、初代中村秋塘らの多くの名工が頭角を現しました。
銀座・大雅堂美術では徳田八十吉他、酒井田柿右衛門、辻常陸、今泉今右衛門、井上満二、宮川香山、武腰潤、吉田美統などの陶磁器の買取・鑑定について随時ご相談承っております。お手元のお品のご売却をお考えの際には是非ご一報ください。