2017.8.7買取り情報【十四代酒井田柿右衛門/人間国宝/有田焼/一輪挿し/陶磁器】

有田の名工 十四代 酒井田柿右衛門(1934~2013)による一輪挿しです。共箱。柿右衛門ならではの美しい白磁に色鮮やかな花鳥が絶妙なバランスで描かれています。十四代は2001年に「色絵磁器」重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されています。

酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)

江戸時代に肥前国(佐賀県)有田の陶芸家であった初代(1596-1666年)以降
代々その子孫(後継者)が襲名する名称。

【有田焼(ありたやき)】

有田焼は、佐賀県有田町を中心に焼かれる磁器。

肥前磁器の焼造は17世紀初期の1610年代に遡ります。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、肥前の領主であった鍋島直茂に同行してきた
陶工李参平が1616年(元和2年)に有田東部で白磁鉱を発見し、
日本初の白磁を焼いたといわれており、李参平は有田焼の祖とされています。

作品は製造時期、様式などにより、
初期伊万里、古九谷様式、柿右衛門様式、金襴手などに大別されます。
また、これらとは別系統の
献上用の極上品のみを焼いた藩窯で鍋島藩のものを鍋島様式
その中でも皇室に納められたものを禁裏様式呼んでいます。

江戸時代後期に各地で磁器生産が始まるまで、
有田は日本国内で唯一、長期にわたって磁器の生産を続けてた陶磁器生産地でありました。
1977年に経済産業大臣指定伝統工芸品に指定されています。

【柿右衛門の歴史】

初代は乳白色(濁手)の地肌に赤色系の上絵を焼き付けるという「柿右衛門様式」と呼ばれる磁器の作風を確立。ヨーロッパなどにも輸出されマイセン窯などでは模倣品も作られ珍重されました。

初期柿右衛門:初代、二代(1620-1661年)、三代(1622-1672年)、四代(1640-1679年)。
中期柿右衛門:五代(1660-1691年)~七代までがとされる。ただ高い技術が要されること濁手の作品は七代以降に一旦途絶えています。
後期柿右衛門 :八代(1734-1781年)、~十代(1805年-1860年)の期間。主に染付の磁器を製作。七代から八代にかけては明清の陶磁器を模倣した「角福」と呼ぶマークを施したものが多くみられます。
近代以降、1919年には事業家と共同で十二代(1878-1963年)が柿右衛門合資会社を設立しましたが、最終的に両者の運営方針が合わず、1928年に関係を解消。以降それぞれが「柿右衛門」作品を制作しましたが、1969年に和解、その後合資会社は名義を使用していません。
十二代十三代(1906年-1982年)は1947年頃から濁手の復活を目標とし、1953年に初めて濁手の作品を発表。濁手の製作技術は1971年には重要無形文化財に指定されています。
2001年に十四代(1934~2013)が重要無形文化財「色絵磁器」の保持者(人間国宝)に認定されました。
2014年に第十五(1968~)が襲名し、名門の伝統技術を現代に伝えています。

銀座・大雅堂美術では酒井田柿右衛門ほか、今泉今右衛門、徳田八十吉、加藤卓男、三浦小平二、宮川香山、井上萬二、中里太郎右衛門など陶磁器の買取り・鑑定について随時ご相談承っております。お手元の作品のご売却をお考えの際には是非ご一報ください。