2017.3.21買取り情報【古伊万里/江戸期/染付/蛸唐草/尺皿/骨董/陶磁器】

古伊万里染付蛸唐草文尺皿です。皿の中央部には松竹梅、それを囲むように蛸唐草がびっしりと書き込まれています。伊万里焼では代表的な図案の一つです。均一な筆致でバランス良く蛸唐草がびっしり描きこまれた、職人技が光る作品です。江戸期ならではの染付の色合いも味わい深いです。

伊万里焼

近世初期以来、有田、三川内、波佐見などで焼かれた肥前の磁器は、江戸時代には積み出し港の名を取って「伊万里」と呼ばれていました。英語での呼称も “Imari” が一般的です。一般的に「古伊万里」と呼ばれているのは江戸時代のものになります。

歴史

通説では朝鮮出身の李参平(日本名:金ヶ江三兵衛)が有田の泉山で磁器の原料となる磁土を発見し、元和2年(1616年)に有田東部の天狗谷窯で磁器焼造を始めたとされています。消費地での発掘調査などから、磁器製造の創始は1610年代であるというのが定説です。1637年に焼き物産業推進方針を決めた鍋島藩により窯場は13箇所に整理され、渡来人陶工を中心とした本格的な有田焼産業が発達することになりました。

1610年代~1630年代頃までの初期製品を陶磁史では「初期伊万里」と称し、白磁に青一色で模様を表した染付磁器が主で、絵付けの前に素焼を行わない「生掛け」技法を用いている点が特色。
1640年代には色絵磁器の生産が創始され、国内向けの大皿などの色絵磁器製品が生産されるようになります。これらは、加賀の九谷が産地であると長年考えられていたことから「古九谷」と称され、現代の陶磁史では「古九谷様式」あるいは「初期色絵」と称されています。
また時期を同じくして、鍋島藩が将軍家・諸大名などへの贈答用高級磁器を製造する藩窯が活動を開始。この藩窯製品が「鍋島様式」「鍋島焼」です。
1670年代には、素地や釉薬が改良され、白磁の地にほとんど青味のない「濁手(にごしで)」と呼ばれる乳白色の素地が作られるようにりました。この濁手の素地に色絵で絵画的な文様を表したものが「柿右衛門様式」です。
1690年代には染付の素地に赤、金などを多用した絵付を施した製品が作られるようになります。これを「古伊万里金襴手」と称し、この種の様式のものが当時のヨーロッパ向けの輸出品の主流となりました。

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