2018.4.11買取情報【河井寬次郎/鉄釉瓜壷/識箱/民藝/陶磁器】
河井寬次郎の鉄釉瓜壷を買取りました。妻の河井つね箱書きの識箱。 堂々とした瓜型のフォルムにたっぷりとした鉄釉による深みのある色合い。寬次郎の独創性と民藝の温もりを感じさせる大変魅力ある名品です。
◆河井寬次郎(かわいかんじろう)◆
1890~1966/島根県安来市出身/陶芸家
1890(明治23)年、島根県安来市生まれ。陶芸家として知られていますが、彫刻、デザイン、書、詩、詞、随筆などの分野でも作品を残しています。
松江中学を卒業後、東京高等工業学校(現・東京工業大学)窯業科に入学し、同校で後輩の濱田庄司と出会い、生涯の友人となります。
卒業後は京都市立陶磁器試験場を経て、京都市五条坂の清水六兵衞の窯を譲り受け、「鐘渓窯」と名づけ自らの作品制作を開始。高度な技術を駆使した中国や朝鮮古陶磁の手法に基づいた作品が好評を博します。
大正末期に濱田庄司を介して柳宗悦と親交を結ぶと、それまでの作風を一変。「用の美」実用を重んじた力強い作品を生み出していくようになります。そして、この時期以降、寛次郎は作家としての銘を作品に入れなくなっています。柳や濱田とともに民藝運動を推進し、1936(昭和11)年に日本民藝館が開館されると理事に就任。
戦後は、色鮮やかな釉薬を用いた重厚で変化に富んだ独自の作風を確立する一方、実用にとらわれない、自らの内面から湧き出る自由で独創的な造形表現を展開しました。
なお、文化勲章、人間国宝、芸術院会員などへの推挙など、一律に全て辞退しており、生涯無位無冠の陶工とし晩年まで創作活動を行いました。
その卓越した芸術性は、没後50年を超えてなお、国内外で高い評価を受けています。
銀座・大雅堂美術では河井寬次郎他、富本憲吉、濱田庄司、黒田辰秋、バーナード・リーチ、荒川豊蔵、加守田章二、加藤土師萌、岡部嶺男、板谷波山、川喜田半泥子などの陶磁器全般の買取・鑑定について随時ご相談承っております。お手元のお品のご売却をお考えの際には是非ご一報ください。